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【豆知識・裏話】大河ドラマ「真田丸」から知る歴史の面白さ vol.1

※2016/11/13 更新

2016年の大河ドラマ「真田丸」。脚本三谷幸喜のオリジナル作品ということで、めっちゃ面白そうと感じたので、今年はリアルタイムで観ようかと思ってます。折角なので、歴史大好きな が、大河ドラマを見て何も見ずに自分の記憶のまま思ったことを書くだけの企画をやります。史実と異なる場合もあるかと思いますが、ひらにご容赦ください。

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       引用:NHK

✔ 信繁青春編(第1回〜13回)
✔ 大阪編(第14回〜25回)

>>続き記事:【豆知識・裏話】大河ドラマ「真田丸」から知る歴史の面白さ vol.2

第1話「船出」

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                                 引用:NHK

真田信繁(幸村)の父・昌幸を演じるのは草刈正雄さんです。草刈さんは30年くらい前のNHK水曜時代劇「真田太平記」では真田幸村を演じていたから、これは三谷幸喜さんお得意のファンにはたまらない粋なキャスティングです。ちなみに真田昌幸、元は武藤喜兵衛と名乗って武田信玄の側近でした。最も激戦となった第四次川中島の合戦の際、上杉謙信が武田の本陣に斬り込んだ時に武田本陣に踏み止まり信玄を守っていた二人のうちの一人が武藤喜兵衛(=真田昌幸)だったといいます。真田幸隆の三男だったけど、二人のお兄さんが長篠の戦いで討死して、急遽真田の家を継いだ人です。

第2話「決断」

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                                 引用:NHK

温水洋一さん演じる小山田信茂、結局不忠者として裏切った先の織田に殺されてしまいましたが、小山田と言えば有名なのは投石部隊。でっかい石を投げるんじゃなくて、それこそ手に持てるサイズの石を投げる。決してふざけている訳では無く強かったらしいです。200メートルくらいの距離を投げてくるから下手な弓よりも威力がある。しかも武器は現地調達OK。確かに、今のプロ野球選手みたいのが揃って石を投げてきたら立派な兵器かと思います。ちなみに真田兄弟の姉(木村佳乃さん)の夫で小山田信茂配下の小山田なんとかを演じているのは高木渉氏。「名探偵コナン」の高木刑事・げんたくん役で有名です。

第3話「策略」

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                                 引用:NHK

真田昌幸のくせ者ぶりが存分に発揮された回でした。三谷作品に西村雅彦さんが出演されたのが随分久々に感じます。西村さん、「秀吉」の時は家康演じてたのに。笑
今日は武田滅亡後の身の振り方を真田をはじめとした信濃の国人衆が合議するシ-ンがありました。大名と家臣というと、どうしても絶対的な殿様がいて、忠誠を誓った家臣団がそれを支えるという図式が思い浮かびますが、それは江戸時代の話。戦国時代では皆それぞれが領地を持つ中、自分の領地を守るために一番強いものに味方をしていました。つまり自分が頼っていた大名家が弱体化して、自分の領地も満足に守ってくれなくなったらその大名に従っている義理は無い訳です。先週斬られた小山田信茂もまさにそうしただけだったのですが、武田の親族衆であったこと、あまりにも土壇場であったこと、何より後世の徳川幕府に武田の旧臣が多くいたこともあり、ひどく悪く言われてしまっています。今夜の真田昌幸のようにあらゆる策略を使ってでも自領の暮らしを守ることこそが、良い領主に求められる条件だったのです。

第4話「挑戦」

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                                 引用:NHK

お師匠はんの明智光秀、なんだか不思議なインパクトがありました。今夜の話の中に出てきた、徳川家康が武田信玄に惨敗した三方ヶ原の戦い。家康があまりの恐怖に馬上で大便を漏らしながら逃走。帰ってすぐに恐怖で真っ青になった自分の姿を肖像画に描かせ、後々の戒めとしたといいます。三方ヶ原の戦いにはそれにちなんだ地名があります。敗走中の家康は小腹が空いて小豆餅を購入。そこで残った地名が「小豆餅」。しかし焦っていた家康はお金を払わず行ってしまう、茶屋の婆さん慌ててそれを追いかける。そして追いついて(!)お金を受け取った場所が「銭取」としてそれぞれ地名が残っているそうです。ちなみに「布橋」という地名もやはりこのとき敗走中の家康が追撃する武田軍に対して、崖に橋に見せかけた布を敷いて武田の追撃部隊を崖に落としたところが由来とのことです。

第5話「窮地」

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                                 引用:NHK

本能寺の変が起こり、吉田綱太郎さんの信長もあっという間に退場。贅沢な使い方でした。。。今回は堺から伊賀越えをする家康たちを先導した服部半蔵正成。

服部半蔵というと忍者の代表格としてのイメージを持っている方がほとんどかと思いますが、実際は
父の代から徳川(松平)家に仕えている武将です。東京都の「半蔵門」の由来でも有名です。なので実際は今夜のドラマで描かれたような働きに近く、家康が無事に伊賀を越えられたのは伊賀出身の半蔵が交渉し、同道した堺の商人・茶屋四郎次郎がお金をばらまいて伊賀の土豪たちに話を付けたおかげと言われています。忍者の働きというのもほとんどが敵方に忍び込ませた味方との情報交換が主だったようです。なので後年「島原の乱」の時は一揆方に味方がおらず、忍びは場外で震えているだけでほとんど役に立たなかったという記録も残っています。今に伝わる忍者の活躍のほとんどが、後世の創作だそうです。

第6話「迷走」

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                                 引用:NHK

今夜は高嶋政伸さん演じるMr.二度がけこと北条氏政の出番の多い回でした。今夜は信濃から撤退する森長可も登場しました。名前から察せられる通り、本能寺で信長と共に散った森蘭丸のお兄さんです。森長可の信濃撤退も困難を極めるものだったらしく、武田の旧臣やら信濃の国人に攻撃を受けつつ、何とか美濃まで落ち延びたそうです。

ちなみにその後長可は舅である池田恒興とともに、小牧・長久手の戦いで戦死してしまいますますが、後に弟である森忠政が領地を与えられて信濃へ帰ってきます。この時忠政はかつて撤退を妨害した者を悉く捕らえ、殺してしまいます。そのことからも大変な撤退であったことがうかがえます。

第7話「奪回」

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                                 引用:NHK

関東に進出していた段田安則さん演じる滝川一益も本日撤退。映画「清須会議」では阿南健治さんが演じて、ひたすら関東からマラソンをしていました。北条との決戦前、滝川一益は配下の国人衆を集め信長の死を公表すると共に、今後の去就については各自に委ねたそうです。その結果、国人衆の多くが北条方に付いて滝川軍は大敗。安全圏の姫路に撤退するまで信長の死を隠した秀吉とは対照的な例としてよく挙げられます。男気は買うんですけど。。。甲賀出身の滝川一益は作品によっては忍者出身の武将として描かれることが多いですが、実際は忍者ではなかったようです。ちなみに「花の慶次」でおなじみの前田慶次郎利益も滝川氏の出身です。

第8話「調略」

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                                 引用:NHK

北条氏直のあのクセのあり過ぎる喋り。今まで隠居した父・氏政に実権を握られたままの可哀想な5代目って印象だったけど、あれはちょいとムカつきます。笑

今夜のキーマンは前川泰之さん演じる春日信達。武田の名将・春日源助こと高坂弾正昌信(春日虎綱)の息子です。劇中でも触れられていましたが高坂弾正は元は百姓の出でした。信玄の側近として抜擢され、その才能を発揮し頭角を現します。そしてついには武田二十四将の中でも山県昌景・馬場信房・内藤昌豊と並んで四天王とされた人物。勝頼同様、信達も偉大な父を超えようともがいた人だったのかもしれません。父・高坂弾正と武田信玄のエピソードとして欠かせないのが浮気の詫び状です。信玄に側近として寵愛されていた当時まだ春日源助と名乗っていたころの高坂弾正。しかし信玄はまた新たな別の側近を寵愛します。その様子に春日源助はプンプン。(表現が古いか?) 信玄はあわてて春日源助に浮気の詫び状を書くのです。ちなみにその時の書状は現存しており、当時の大名と家臣の関係性を示す貴重な資料となっています。なお浮気相手とされた側近こそ同じく後の四天王の内藤昌豊であり、信玄の見る目は確かだった事が証明されています。

当時、男色は決して珍しい事ではありませんでした。会津の大名・蘆名義隆にいたっては、痴情のもつれから最後は寵愛を失った小姓によって殺されてしまいました。結構こういったケースはたくさんあります。社長が美少年ばかり侍らせている、と考えると案外現代でも想像がつく話なのかもしれません(!)
こういったこともあり高坂弾正は美形キャラとされることが多く、過去の大河ドラマでも「武田信玄」では村上弘明さん、「風林火山」では田中幸太朗さんが演じられていました。「天地人」では大出俊さんが演じており、晩年の重厚な存在感を出してましたね。

第9話「駆引」

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                                 引用:NHK

今夜はほぼドラマで描かれていたのでそんなに突っ込む内容もないかな。沼田城の話は来週以降がメインっぽいですし。そういえば大坂の陣で信繁と共闘する後藤又兵衛役は哀川翔さんで決定したそうです。「軍師官兵衛」では塚本高史さんが演じられていた役、今作では円熟味を増した男になりそうです。

今夜、真田昌幸の手引きで武田の旧臣の多くが徳川家康の傘下に入りました。武田の旧臣の多くは徳川四天王の一人、井伊直政(来年の大河ドラマの主人公・井伊直虎の養子、「桜田門外の変」でおなじみの井伊直弼の先祖、ひこにゃんの兜の人)が率いることになり、その部隊は赤備えとして鎧兜を赤に統一していたそうです。前回ここで話題に出た武田四天王の一人、山県昌景の部隊も赤備え有名でありそのインパクトと勇猛ぶりを恐れられていました。現代ではなかなか実感湧かないかもしれませんが、戦場で赤い塊が馬に乗って突進してくる様子はかなりのインパクトと威圧感があったと思います。後に家康がさらに武田家の軍法を大いに取り入れる出来事があるのですが、それはまたその時に。ひょっとしたら井伊の赤備えもその時に出来たものかもしれません。。。

第10話「妙手」

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                                 引用:NHK

今夜は真田信繁の大叔父、沼田城に籠もる矢沢頼綱の活躍が目立った回でした。今回の大河ドラマには登場しない真田昌幸や矢沢頼綱の父、真田信繁の祖父である真田幸隆とはどんな人だったのか。

ドラマでは真田昌幸が信濃の国衆をまとめようと苦労していますが、信濃は山によって地域が分断され雪も深いこともあって、地域ごとの交流も少なく各領主の独立性が強かったようです。甲斐の国をまとめた武田晴信(信玄)が信濃に進出しようとした日にゃあ、よそ者もよそ者だった訳です。しかし晴信は逆にそれを利用しました。信濃の国人が一枚岩でないと見ると味方に付く国人を探し、それに呼応したのが真田幸隆だった訳です。

当時真田は同じ国衆同士の争いに敗れ勢力を弱めていましたから武田の力を利用、晴信が落とせなかった戸石城を計略でわずか1日で落とし、晴信はじめ武田の諸将にその力を見せつけました。幸隆は晴信を敬愛していたようで、晴信が出家して信玄となると自身も出家、信玄が亡くなると後を追うように亡くなってしまいました。真田の知略は信繁の祖父の代から既にお家芸だったと言えるのではないでしょうか。

第11話「祝言」

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                                 引用:NHK

真田信繁が黒木華さん演じる梅と祝言を挙げた今夜の回。父・昌幸は人質の駒が増えたと喜びます。人質の人選は難しいものです。近しい者でないと人質として意味は無いし、かといっていざという時には切り捨てる場合も想定されます。

徳川家康には俗に久松松平氏と言われる父親違いの弟が3人居ます。家康の母・於大の方は尾張の水野氏の出身。水野氏が今川家を離れ織田家の味方となった時、今川に従っていた家康の父・松平広忠は於大の方を離縁します。その後於大の方は久松氏に再縁、そこで生まれたのが前述の3人です。

桶狭間の戦い後独立した家康は、久松氏を迎え入れます。(=久松松平氏)家康の弟である彼らは、人質として活用されます。家康にしてみれば自分の息子ほどのつながりも感じず、さらに自分は受けることの出来なかった母の愛情を受けた弟たちへの意趣返しもあったのかもしれません。(八つ当たりですが)

兄弟の中には滅亡間近の武田家から逃げる際に、凍傷を負って足の指を切断した人もいました。後に秀吉への人質として、またこの兄弟を人質に出そうとしたところ、さすがに於大の方から「待った」がかかり、家康は次男の於義丸(結城秀康)を人質に出したという逸話も残っています。腹違いの兄弟や父違いの兄弟に対する感情ってどんなものだったんでしょうか。ちなみに元NHKアナウンサーの松平定知サンも、この久松松平氏の末裔です。

第12話「人質」

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                                 引用:NHK

遠藤憲一さん演じる上杉景勝は寡黙な人物と知られ、家臣の前で笑ったことは生涯一度しかなかったそうです。鉄仮面エンケンさんにピッタリの役だと思いましたが、本作では割と人間味溢れる人物として描かれています。

上杉景勝は言わずと知れた軍神・上杉謙信の跡を継いで当主となった訳ですが、謙信公が景勝に跡を継がせようとしていたかどうかは分かっていません。謙信公は対織田出陣準備中に厠で倒れ急死、遺言は残せませんでした。跡継ぎとして有力だったのが謙信の姉・仙桃院の子である景勝と北条氏政の弟で景勝の妹(姉とも)を妻に持つ上杉景虎です。

景虎は謙信の初名である「景虎」を与えられているところからもその寵愛っぷりが伺え、また景勝との跡目争いの際は前関東管領である上杉憲政も味方に付くなど、その人望と正当性も支持されていたようです。(当時織田に圧迫されていた上杉において、景虎のバックにある北条の力を頼りにした点も大いにありますけど。)

一方景勝の父・長尾政景は一門衆の筆頭であったものの、かつては謙信に背いたこともありその死も謙信による謀殺説もあるなど、何やら後ろ暗さがあります。景勝が勝利したのは北条の同盟国であった仇敵・武田勝頼を味方にしたことが大きかったのですが、もし武田が北条との関係を重視して景虎を支援していたら、武田・北条、そして景虎が継いだ上杉との三国同盟が結ばれ、武田もそう簡単には織田に滅ぼされなかったかもしれません。もっとも、違う視点で見れば北条が滅ぼされる際に上杉も巻き添えを食って滅びた可能性もあるので、結果的には景勝が継いだからこそ、上杉は幕末まで大名として存続出来たのかもしれませんが。

第13話「決戦」

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                                 引用:NHK

今夜は衝撃のラストでした。。。

本日描かれた第一次上田合戦の徳川軍の死者が1,200人、真田軍が50人ほど。徳川軍7,000人だったことを考えると負けた割には少ないように感じられる方もいるかもしれません。

当時の戦は現代の戦に比べると死亡率ははるかに低いです。刀はほとんど斬るものではなく殴るための鉄の塊。そうでなければ鉄の鎧を着ている相手に有効なダメージは与えられません。わざわざ切れ味の良い脇差を使ってとどめをさされてしまうのは指揮官クラス。その辺の足軽兵は殴られて失神して戦闘不能になってくれればそれで良いという考え方です。

つまりたいていの場合、戦闘不能=死である必要は無かった訳です。おまけに兵士のほとんどは普段は農民として生活している者たちですから、ちょっと手傷を受ければ戦意を失い逃げていきます。むしろ死なずに手負いのまま生き残る人も多い訳で、TVドラマでは決して描かれませんけど、本来は指が何本か無い人や片腕無い人というのも兵士として少なからず居たのです。(もっと言えば戦場では兵士同士で身ぐるみを質入れしてまで賭け事なんかやっているので、具足フル装備でない兵士もたくさん居たそうな。)

ただ、やはりというか鉄砲伝来後、死者の数はぐんと増えました。そう考えると徳川軍7,000人中、死者だけで1,200人というのはかなりの数だった訳で、戦闘不能になった数はもっと多かったことが容易に想像出来ます。ちなみにまだ鉄砲がそれほど普及していなかった第4次川中島の戦いでは、武田・上杉両軍で7,000人の死者が出ています。その数字だけでも戦の激しさが分かろうってもんです。

第14話「大坂」

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                                 引用:NHK

竹内結子さん演じる茶々、めちゃくちゃ可愛いです。秀吉でなくともハマってしまいそうです。

真田丸もいよいよ大坂編突入。今夜の主役は家康から秀吉に寝返った石川数正。彼は徳川四天王の酒井忠次と並んで家康が今川の支配を受けていた時代からの古参の家臣。もし彼が生涯徳川を全うしていたのであれば、徳川四天王は徳川五人衆となっていたであろうほどの人物です。

彼が秀吉方に奔った理由は定かではありません。しかし秀吉との取次役を務めていた数正は徳川家の誰よりも秀吉という男の強大さを目の当たりにしていたはずで、徹底抗戦を主張する他の家臣団とのそりが合わなくなった点はあったかと思います。

また秀吉も傘下の大名家の有力家臣を引き抜きをかけることは頻繁にあり、丹羽家の長束正家や上杉家の直江兼続、伊達家の片倉景綱等に声をかけており、そういった策の一つだったのでしょう。作品によっては敢えて家康と示し合わせの上で、豊臣方の情報を流すためにその立場を利用して降ったとするものもあります。

どちらにしろ、重大機密を知る数正の出奔は徳川家に大きな衝撃を与えます。そこで出てくるのは第9話の際ここで話題にした軍政改革です。旧武田家臣団を中心に従来の方式から甲州流に改め、以降武田の旧臣たちもより家康に重用されることとなります。そのため、江戸時代以降も武田家は物語などで良く描かれることが多く、その人気は現代まで続くわけです。

第15話「秀吉」

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                                 引用:NHK

4/14から続く熊本の地震、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。真田丸にも登場している新井浩文さん演じる加藤清正が築いた熊本城にも多くの被害が出ているようで、復旧には10年近くかかるとか。熊本城と言えばやはり急こう配の石垣が特徴的です。これは清正が朝鮮出兵の折、攻めあぐねた相手方の城を参考に作ったとか。その有効性が実証されたのは城が築かれてから270年後。

鹿児島で挙兵した西郷隆盛は北上、政府軍が立て籠もる熊本城を攻めたのでした。圧倒的大軍の西郷軍の前に落城は必至かと思われましたが、想像以上に堅固な作りの熊本城を西郷軍は落とすことが出来ず、結局西郷軍は敗れ西郷隆盛も自刃して果てたのでした。名将加藤清正の軍略は時を経てもあせることなく、敵を撃退したのでした。改めて熊本の一日も早い復興をお祈り致しております。ところで真田丸、どうして「おおざか」じゃなくて「おおさか」なんだろうか??

第16話「表裏」

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                                 引用:NHK

真田信繁が秀吉の馬廻となった今夜の回、馬廻について書こうと思ったのですが、個人的に小姓と馬廻と母衣衆の区別がよく分かりません。笑

信繁も馬廻と言いつつ黄母衣貰っていたし。。。母衣というのは背中に付けるマントのようなもの。馬に乗って速度が上がるとフワッと膨らんで敵味方に対して目立つとともに、背中から弓を射られた場合の防御手段の一つとなります。馬廻にしても小姓にしても大名の親衛隊的存在です。これは主に家臣の次男や三男で構成され、戦時には主君を守ったり本陣からの伝令役として働いたり、平時には諸々取次などを行なう秘書としての役割を担ってました。大名の働きぶりを常に間近で見ていますから、才あるものは有能な子飼い武将として家を支えていく存在になる訳です。

つまり信繁も秀吉の下で帝王学を学び、どこぞの重役の娘を奥さんとしてもらえば、どこぞの名門の名跡を継いで兄・信幸が継ぐ真田家とは別に大名になれるチャンスがめぐってきたということです。現代でも将来の幹部候補が社長のカバン持ちになったり、まだデビュー前の若手俳優が事務所の大物俳優の付き人になるようなものですかね。また家臣と言っても平和な江戸時代とは違い、家臣がいつ裏切ってもおかしくない戦国の世では人質としての側面もあったことは言うまでもありません。

第17話「再会」

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                                 引用:NHK

さて今夜は秀吉が妹に続き、母親まで家康に人質として差し出して、ようやく家康を従わせることに成功しました。それにしても旭役の清水ミチコさんの表情ときたら・・・。笑

人質というと弱者が強者に差し出すケースがほとんどですが、まれに今回の秀吉のように優位に立つ側が差し出すケースもあります。これは送った側にとっては「それだけお前を信用するんだぞ」という圧力をかけることになり、受け取った側にとっても「粗略に扱うと何されるか分かったもんじゃない」という足枷。万が一先に人質を殺そうものなら、送った側を敵に回すのは勿論、天下の信用を失うことになります。

信義を重んじるからこそ出来る行為ですが、日本以外でもこういうケースはあったのかな〜?有名なのは明智光秀が丹波(京都)を攻めた際、その地を治める波多野兄弟の降伏条件として光秀は母(異説あり)を波多野側に差し出しました。降伏した波多野兄弟は信長の待つ安土へと行きますが、しかし信長は波多野兄弟の降伏を赦さず兄弟を殺害。結果光秀の母も波多野の家臣によって殺害されてしまい、本能寺の変の一つの原因となったと言われています。

第18話「上洛」

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                                 引用:NHK

今夜は木村佳乃サン演じる松(藤)がいい味出してました。真田昌幸はようやく上洛、秀吉配下の大名として認められると共に徳川家康の寄騎(与力)となることを命じられます。

寄騎というのは大名の直臣ではあるけれども、迅速な判断を求められる場面において円滑な指揮系統を確保するために、指揮を執る大身の家臣(寄親)に補佐として付く役目のこと。

有名なところでは柴田勝家下の前田利家・佐々成政・不破光治の府中三人衆や明智光秀下の細川藤孝や筒井順慶。秀吉下の両兵衛(竹中半兵衛重治・黒田官兵衛孝高)も秀吉の直臣ではなく、信長から付けられた寄騎です。こうすることで寄親の家臣は大名に直接許可を取ることなく配下の寄騎に命令を出すことが出来、また大名にしても寄騎を寄親の家臣としてしまわないことで、寄親である家臣が大名を凌ぐ力を持つのを防ぐことが出来ました。また寄騎は指揮官の配下であると同時に大名から派遣された指揮官に対するお目付け役の意味合いも持っていました。

指揮官に何か不審な動きがあれば、直接大名に報告をする。あくまで寄騎の主君は大名であり、その意に背く時は寄親だろうと命令に従う筋合いはありません。本能寺の変後に明智光秀があえなく敗れたのは、味方になると目論んだ寄騎の細川・筒井が味方に付かなかったことですが、両家にしてみれば明智は現場の上司ではあるけれども、雇い主では無いので言う事を聞く筋合いなどなかったのです。現代でいえば、寄親である家臣が支店長で寄騎は支店の社員というところですかね。

とはいえ、寄親と寄騎の家臣同士の結びつきは強いケースが多く、先の明智家の場合も光秀の娘の玉子(ガラシャ)が細川藤孝の嫡男・忠興に嫁いでいます。はてさて真田と徳川は・・・という話が来週の中心になりそうです。

第19話「恋路」

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                                 引用:NHK

さて、前回予告した通り徳川家と真田家は縁組を結ぶこととなります。真田昌幸の嫡男・信幸に徳川家の重臣本多忠勝の娘である稲姫(小松姫)。しかし真田信幸には既に昌幸の長兄・信綱の娘が正室として居ますから、彼女との離縁を迫られます。現代のサスペンスドラマでよくあるシチュエーションですね。重役の令嬢と結婚する為に昔から付き合っていた彼女との別れを迫られる。

男性が超悪者になるシチュエーションですが、女性の地位が高くなかった時代ではままある話です。。一夫多妻制の時代ですので、今までの正室が側室に格下げとなって留まるケースもありますが。特に豊臣から徳川へ時代が移る時、豊臣恩顧の大名家から娘を迎えていた家が徳川家から娘を貰い受ける際によくよく発生していた印象があります。

一昨年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛の息子の長政もそうでしたね。他に正室が離縁されるケースでよくあるのが、側室が先に男の子を生んだ場合。ゆくゆくは跡継ぎになるであろう男の子の生母として側室が正室として迎えられ、正室の女性が離縁されてしまう。

現代だったら「女性は子供を産む道具ではない」と人権団体から怒られそうです。そのケースで面白いケースなのが伊達家の家臣である鬼庭(茂庭)家。鬼庭良直は正室との間に女の子は生まれたものの男の子は生まれず。やがて側室に男子が生まれたため正室とは離縁。離縁された女性は娘を連れて片倉家に再縁し、やがてそこで男の子を生みます。その時生まれたのが伊達政宗股肱の臣・片倉小十郎景綱であり、異父姉・喜多は政宗の乳母となります。また鬼庭家に生まれた男の子・鬼庭綱元も政宗が生まれてから死ぬまでずっと仕えた、大きな柱となった家臣です。この不思議な三兄弟が伊達政宗を大きく支えたのでした。この話は大河ドラマの「独眼竜政宗」でも描かれていたので、ご記憶の方も多いかと思います。(鬼庭良直:いかりや長介、鬼庭綱元:村田雄浩、喜多:竹下景子、片倉景綱:西郷輝彦 ※敬称略)

第20話「前兆」

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                                 引用:NHK

今夜は秀吉と茶々の間に出来た子供が本当は秀吉の子では無いのではないか、という落書に対して秀吉が激怒。信繁がその犯人を捜すという話でした。

茶々はこの後ももう一人男児を生みますが、父親が秀吉ではなかったのでは無いかという説はいくつかあります。相手としてよく言われているのは茶々の乳母である大蔵卿の局の子である大野治長。まだ「真田丸」には登場していませんが、先日今井朋彦さんが演じられる旨発表がありました。

また石田三成も茶々と密通していたという説がありますが、これは後年徳川の世になってから関ヶ原の戦いの首謀者である石田三成を貶めるために作られた風説である可能性が高いと思われます。もっとも驚きなのが豊臣秀頼の父親は秀吉ではなく、徳川家康という説。肖像画に残る秀頼は痩せ形の父・秀吉よりもぽっちゃりした家康に似ているだとか、大坂時代に家康が茶々と親しくやり取りをしていた。家康の子で江戸幕府二代将軍の秀忠が豊臣家を滅ぼすことにこだわったのは、秀頼が実弟であるならば自分を脅かす存在になることを恐れていたからだ・・・と。ちなみに本作では今まで一度も実子を授かったことがないとされていた秀吉ですが、信長配下の長浜城主時代に側室との間に男子を設けたという記録もあります。(竹中直人さん演じる「秀吉」ではこの説が採られていました。)どちらにしろほかの側室との間にも一切子供が生まれなかった秀吉なので、妊娠させにくい体質だったことは間違いないようです。

第21話「戦端」

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                                 引用:NHK

秀吉が大名と謁見する際にいつも仰々しく言うあのセリフ。

「豊臣朝臣(とよとみのあそん)秀吉である。」

日本史を学ぶ時、名字と名前の間に「の」が入る人と入らない人がいて、混乱するといった話をよく聞きます。何が違うのでしょうか。ざっくり説明すると間に「の」が入るのは名字ではなく「本姓」といって、天皇に認められた本物の姓。それに対し「名字」というのは便宜上名乗るために用いた地名などに由来した言わば呼び名。天皇に本姓を貰った「藤原」さんも、その勢力が伸びるとともに百年とか経つと、気付いたら宮中藤原さんだらけになってしまう。そうすると誰が誰の息子だとか分かりづらくなってしまうので、屋敷のあった場所などから「近衛~」とか「九条~」とかを使うようになる。今でいえば親戚内みんな同じ名字だから「博多のおじさん」とか「飛騨高山のまーくん」と呼び分けていたのを、そのまま名乗りとして「博多○○」「高山○○」とするようなイメージ。

だから普段は名字を使うけれども、公式な行事や書面ではみな「本姓」を使ったため、本姓が「源」である足利家も徳川家も公式書面では「源尊氏」・「源家康」となった。

平安時代以降いわゆる「源平藤橘」(源氏・平氏・藤原氏・橘氏)が主流になり、また本姓よりも名字を使われることがほとんどたったので新たな本姓をつくる必要がなかったのですが、秀吉の功績は新たな本姓を作るのに値すると認めた(認めさせた)ために、新たに作られたのが「豊臣」という本姓だったわけです。

そりゃ、鼻たーかだかに言いたくなる気持ちも分からんではありません。笑

第22話「裁定」

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                                 引用:NHK

今日は沼田城をめぐって真田家と北条家の間に一応の決着がついたかにみえましたが、とうとう大戦が始まります。来週はいよいよ「のぼうの城」が登場するようです。

今日は本日の裁定でもなかなかの才気を見せた秀吉の甥・豊臣秀次の話。秀次は秀吉の姉の子。武士の家の生まれではなく、長らく実子がいなかった。秀吉にとっては数少ない親族として重用されます。小牧・長久手の戦いでは三河奇襲部隊を率いて大敗するといった失態もあったものの、その後の戦や領国経営では家臣をよく用いて無難にこなしています。また、秀吉と比べて妻子が多く、妻は諸大名の娘なども含めて30人以上、子女も10人にのぼりました。奥羽の最上義光の娘などは、秀次がその美貌の噂を聞きつけて、側室として差し出させたという話も残っています。ドラマできりに対してモーションをかけまくりなのも、そういった話に基づいた表現でしょう。一族にも恵まれ、秀次の一族は順風満帆のはずでしたが。。。

第23話「攻略」

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                                 引用:NHK

戦国時代最後のオールスターゲーム、小田原攻めが開幕。個人的に関ヶ原の戦いも大坂の陣もオールスターと呼ぶにはややメンツが物足りない。

秀吉の大軍を目の前にした小田原城内では、降伏か抗戦か何日も評定が重ねられましたが結論は出ず。
今でも結論が出ないまま会議を繰り返す様子を「小田原評定」といいます。

小田原城は堅城としてとくに有名で、戦国の名だたる戦上手、武田信玄や上杉謙信でさえ、小田原城を囲むもついに落とすことは出来ませんでした。その理由の一つが「総構え」という造りです。日本のお城って、通常は城下町があって、その先に門があって門の中にいわゆる天守閣とかお城の建物がある、というイメージがあるかと思います。ところが小田原城は堀や塀で町全体が覆われており、城下町全部含めて一つの城となっていた。そのため、敵が攻め寄せても城下町の人々はいつもとほとんど変わらない暮らしが出来たため、長期の戦も耐えることが出来たのです。しかしさしもの小田原城も20万を超える大軍を前にしては、徐々に戦意を喪失していき落城は目前に迫っています。

第24話「滅亡」

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                                 引用:NHK

今夜の放送で北条氏も滅亡。奥州の伊達も秀吉に降ったことから秀吉に従わない勢力も無くなり、秀吉の天下統一が成ります。ここまで小田原北条氏の滅亡を丁寧に描いた大河ドラマも珍しかったのではないでしょうか。それでもなお、真田昌幸は徳川・上杉・伊達との連合の下、反秀吉を目論みますが秀吉に迎合する伊達政宗の姿を見てこれを断念します。とある作家さんも「奥州制覇までの政宗は好きだが以降は秀吉や家康と言った権力者に尻尾を振っていて好きになれない」と評しています。

伊達政宗、僕が歴史上の人物で最も好きな人物。表向きは権力者に迎合する姿勢を見せながら、この後も政宗は何度も秀吉や家康に対する謀反の嫌疑をかけられながらも、巧みな機転(ある意味とんち話)と演出によって切り抜けています。その結果権力者達からも「油断はできないが才能のある奴」として、仙台藩62万石の大大名として残っていくのは周知の通り。話すと長くなりますが、奥州を制圧する才能を持ち、権力者に危険視されながらも大きな力を持ち続ける。並大抵の気遣いでは出来る事では無かったでしょう。

伊達政宗と真田信繁、もう一人同い年の戦国武将として有名なのが立花宗茂。こちらは九州の名将で秀吉をして「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と言わしめました。3人とも知勇兼備の名将として戦国ファンから人気があります。永禄10年(1567年)生まれは戦国武将の当たり年かな?

第25話「別離」

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                                 引用:NHK

先週あまりの政宗のインパクトに書き忘れたその後の小田原北条氏。高嶋政伸さんが演じた北条氏政とその弟・北条氏照は、主戦派として切腹となりますが、他の一族は助命されています。(ちなみに氏照の居城であった八王子城は現代では心霊スポットらしく、討死した北条方の武者が出るとか。)

当主・氏直は描かれていた通り、高野山へ蟄居。また氏政の弟・北条氏規は非戦論者だったうえ、かつて今川家に人質となっていた際に同じ人質同士だった徳川家康とも親交があったことから大名として取り立てられます。当主・氏直も諸大名の復権運動により1年後には大名として復帰することになりましたが、滅亡時の心労が祟ったかほどなく病没。氏規の家がその領地も治め、北条家は明治維新まで大名家として存続しました。

三谷幸喜さんは今回の大河ドラマを、逆算的な人物像では描かないと仰っていました。徳川家康は初めから天下人の風格を漂わせていた訳では無く、真田信繁も子供のころから知勇兼備の名将だった訳では無い。しかし、いくつかの伏線はあります。すぐ胃が痛くなってしまう片桐且元、そして今夜の大谷吉継のセリフ。「私の身体は何ともない」今後の展開も楽しみです。

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