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【豆知識・裏話】大河ドラマ「真田丸」から知る歴史の面白さ vol.2

※2016/12/31 更新

2016年の大河ドラマ「真田丸」。脚本三谷幸喜のオリジナル作品ということで、めっちゃ面白そうと感じたので、今年はリアルタイムで観ようかと思ってます。折角なので、歴史大好きな が、大河ドラマを見て何も見ずに自分の記憶のまま思ったことを書くだけの企画をやります。史実と異なる場合もあるかと思いますが、広い心でお許し下さい。

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       引用:NHK

✔ 大阪編(第26回〜31回)
✔ 三成・九度山編(第32回〜41回)
✔ 大阪の陣編(第42回〜50回)

>>関連記事:【豆知識・裏話】大河ドラマ「真田丸」から知る歴史の面白さ vol.1

第26話「瓜売」

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                                 引用:NHK

今夜のお祖母様の死亡フェイント、やられました。笑

明攻めの名護屋の陣で行われた仮想大会、実際に行われたようです。劇中では秀吉の瓜売は下手とされていましたが、記録としては非常に上手だったと残っているそう。針売りとして諸国を売り歩いていた秀吉なら、実際の瓜売を目にする機会も多かったでしょうから温室育ちの大名よりも遥かに上手かったのではないでしょうか。信長の次男・信雄は秀吉とは反対にこの時の演技が非常に下手だったと伝えられています。でも家康など名だたる武将衆の演技力も上々に評価されているので、権謀術数の世を生き抜いてきた一流武将にとって演技なんて朝飯前なのかもしれません。(あるいは権力者の情報操作か!?)

第27話「不信」

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                                 引用:NHK

今夜の真田丸では秀吉とその後継者たる甥・秀次との確執が描かれています。その発端となったのが秀吉に拾(ひろい)、のちの豊臣秀頼が生まれたことにあります。「拾った子は丈夫に育つ」として名付けられたとされています。実は拾の夭折した兄・鶴松にも似たような経緯があり、鶴松の前の名は棄(すて)だったそう。これは「棄て子は良く育つ」とのことで付けられた名。棄か拾かは失念してしまいましたが、生まれてすぐに形式的に城中の庭に置かれ(=捨てられ)、その後拾うといったことをやったとか。

当時は子供、特に赤子の死亡率は高かったため、大名家は跡取りたる男の子が無事に育つように様々な演技担ぎを行なったようです。真田家でも兄の信幸の通称が源三郎、弟の信繁が源次郎なのは「長男は早死にする」という俗説を避けるため、あえて長男に「三郎」を使ったという説があります。(ドラマでもしばしば突っ込まれていますが)しかし真田兄弟のこの通称の由来には異説もあり、実は名前の通り信繁の方が兄で信幸が弟だった。しかし徳川の世になり信幸(信之)の真田家のみが大名家として存続した際に、信幸を長子とすることで家の正当性を示した、なんて仮説もあります。

ちなみに「源次郎」の「源」は真田家が海野源氏の一族であることからきています。伊達家も藤原家の一族のため、伊達政宗の通称は「藤次郎」です。あ、この人も長男なのに「次郎」だ。

第28話「受難」

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                                 引用:NHK

関白・豊臣秀次が切腹。首は京都の三条河原にさらされ、妻子や乳母などもそこで打ち首となった。中でも悲惨だったのがここの第22回でも話題にした、秀次の側室となった出羽の最上義光の娘・駒姫。当時15歳の彼女は上京したばかりで、まだ秀次と寝所を共にすることもなかったといいます。

助命嘆願の声も父・義光を中心に諸大名の間で起こったが、赦されず打ち首となりました。この多くの若い女性と子供たちが殺される様子は、見物好きの京の民も目を背けたくなるような惨状だったらしく、秀吉人気の凋落に拍車をかけることとなります。また秀吉の跡を継ぐ者として接近していた大名衆も多く、連座して罰せられた者も多く出ました。そんな中、徳川家康は最上義光や伊達政宗、細川忠興といった大名衆を取り成すことで彼らを窮地から救いました。着々と家康は自分の支持基盤を固めていったのです。

しかし秀次の娘が信繁の側室になっていた話は知らなかったので、さすがに調べました。家柄から言っても側室となったのは秀吉存命中ではなく没後、しかもどうやら関ヶ原の戦いの後のようです。蟄居中に側室貰うなんて、信繁やるなぁ。この側室との間には一男一女もうけたようです。ってことは、劇中でたかは日本に戻ってくるんだな。

第29話「異変」

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                                 引用:NHK

秀吉老いたり。年老いた秀吉、かなりもうろくしてきた今夜の回。そろそろ諸大名や家臣たちも秀吉没後に備えた動きを見せます。

そんな中起きた伏見の大震災。1995年に阪神・淡路大震災が起きた際、「関西地方は地震が少ない」という印象を抱いている方々に対して秀吉の時代(慶長)にもこんな大地震があったと取り上げられたことがありました。この時倒壊した伏見城に真っ先に駆けつけて秀吉を救い出したのが加藤清正。石田三成と対立して謹慎していましたが、秀吉の身を案じて自分の立場も顧みずに秀吉の下へ駆けつけた。「あっぱれ加藤虎之助こそまことの忠臣よ」と秀吉によって清正の謹慎が解かれた、という話が有名。しかしこれは後年の創作話らしく、当時加藤清正は大坂に居たようです。

この時倒壊した伏見城はやがて再建。晩年の秀吉はそのほとんどを伏見城で過ごし、秀吉没後も京の重要拠点でしたが、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見の戦いによって焼失。その後は再度徳川家によって再建され、二条城と並び徳川幕府初期の京の拠点として機能していました。

第30話「黄昏」

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                                 引用:NHK

死期が近づいてきた秀吉。こんな逸話があります。

ある日秀吉の夢に亡き主君・織田信長が出てきた。
「藤吉郎、そろそろよい時分だ。お前も余のところへ参れ」
信長のところ、それはもちろん黄泉の世界。

秀吉はあわてて、
「上様、しばしお待ちくだされ。それがしは殿の仇を討ち奉公した身でございまする。」と答える。

すると信長
「いや、余の倅の有様が不憫でならぬ。全部お前によるものだ、早う参れ!」
と秀吉の襟首をつかんで引っ張っていこうとしたところで、目が覚めた秀吉。気付くと秀吉の身体は布団から大きく引きずり出されていたという。この話、秀吉は見舞いに来た竹馬の友・前田利家に語ったといいます。来週「真田丸」でやったら、ネタバレごめんなさいです。あ、でも「真田丸」の秀吉はベッドで寝てるから、秀吉落ちちゃうか?笑

第31話「終焉」

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                                 引用:NHK

巨星墜つ。壮絶な秀吉の死でした。

秀吉の夢枕に立っていた血まみれの少年は、どうやら浅井万福丸だったようです。浅井万福丸とは信長が滅ぼした浅井長政の嫡男であり、秀吉の妻となった茶々(竹内結子)の兄。浅井滅亡後に信長の命で秀吉が探し出し、串刺しにして処刑したと伝わっています。このこともあり、茶々の母・お市の方は秀吉のことをひどく嫌っていたとされています。

そして暗躍する徳川家康。そしてその智恵の懐刀とも言えるのが、近藤正臣さん演じる本多正信。家臣でありながら家康に友と言われるほどの信頼を置かれた彼ですが、実は家康がまだ三河の一大名だったころ三河では大規模な一向一揆が起きました。家康の家臣にも一向宗の信徒がたくさんいて、一揆側に付くものも多数。正信もこの時一揆側に付き、家康と敵対しています。一揆討滅後、正信は浪人となりますが、家康の下に帰参したのが「本能寺の変」の頃。正信は家康の頭脳としてあらゆる謀略を働かせます。そんな影働きと一度出奔した経緯もあり、譜代の真っ直ぐな徳川武断派にはウケが悪かったようで、本多忠勝には「同じ本多でもあやつとは無関係である!」と言い放たれる始末。ドラマでは家康の下、二人揃って行動していますけど。しかしこれから天下取りに向けて動く家康にとって、本多正信の智略はますますなくてはならないものとなっていきます。

第32話「応酬」

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                                 引用:NHK

秀吉が死にまたバタバタときな臭くなってきた今夜。

一番のツッコミどころとしては寺島進さん出浦昌相が生きているのかいっ!って話。僕もこの人物は今回の大河で初めて知ったのですが、調べたところ元和9年(1623年)つまり徳川3代将軍家光が即位する年まで生きていたようです。

さて秀吉没後着々と力を付けつつある徳川家康。共倒れを防ぐため、後継者たる息子・後の2代将軍秀忠を江戸へ発たせます。しかしながら、実はこの時点で家康の後継者は秀忠と決まっていた訳では無いようです。家康にはたくさんの息子がいましたが、長男の信康は武田への内通を岳父でもあった織田信長に疑われ、家康の命により切腹してすでにこの世にはいませんでした。秀吉没後の時点で跡継ぎとして有力だったのが、以前第11回でちょこっと名前を出した次男の結城秀康、そして三男の徳川秀忠。結城秀康は武勇に優れ器量も充分、長幼の順序から考えても申し分なかったが、母の地位が低く、また豊臣氏→結城氏と他家の養子となっていた点がマイナス。一方秀忠は決して秀でた器量はないものの、治世をそつなく治めていくには向いているとされていました。しかし未だ秀吉没後の天下が定まっていなかった時期、家康の家臣たちもどちらが跡を継ぐべきか意見が分かれ、参謀・本多正信は次男・秀康を推していたほどでした。徳川家の後継者が決まるのはもう少し先のこと。

第33話「動乱」

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                                 引用:NHK

名だたる大名がたくさん登場した今夜の回。何を話題にしたらよいか悩みました。

番組最後の「真田丸紀行」でも紹介されていた細川氏。細川氏は室町幕府将軍足利家の一族として管領職を務めるなど名門の家柄ですが、この当時細川氏は「長岡氏」を名乗っていました。細川忠興の父・細川藤孝は室町幕府15代将軍足利義昭の側近として義昭の将軍即位に尽力しましたが、義昭と織田信長の対立が決定的となると信長側に付きます。義昭追放後、細川氏は山城国長岡一帯を領地として与えられ、名も「長岡藤孝」に改めます。おそらくは足利色の強い「細川」を捨て去ることで、より信長への恭順の意を示すことが目的だったのではないかと思われます。長岡氏が細川氏に戻るのは確か関ヶ原の戦いの後だったはずなので、おそらく忠興も「長岡越中守忠興」と真田安房守に対して名乗っていたはずです。来週はいよいよ直江状!

第34話「挙兵」

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                                 引用:NHK

直江状を読み上げる村上新悟さんの声、マジで良いです。さて今夜は出番のなかった片岡愛之助さん演じる大谷刑部(吉継)、小田原の陣後くらいから徐々に体調を崩し、いつの間にか政務にも参加出来ない状態に。関ヶ原の戦いの時点では目も見えない状態だったと言います。何の病気だったかは諸説ありますが、「らい病(ハンセン病)」だったと言われています。病気の影響で顔の皮膚はボロボロになってしまったため、顔を白い頭巾で覆っていたとも。石田三成とは単なる同僚を超えた親交があったとされており、そのきっかけとしてこんな逸話が残っています。

ある時秀吉が家臣を集めて茶会を催しました。茶碗を回し飲みする際、初めに回ってきたのが吉継。しかしその時吉継は既に病を患っており、顔から膿が茶碗に落ちてしまった。それを見ていた他の武将たちは茶を飲むふりだけをして次々と茶碗を回していったが、石田三成は堂々とその茶を飲みほした。そのことに感激した吉継は、以後三成を友として生涯を彼のために尽くしたという。吉継は武人としての評価も高かったため、秀吉をして「百万の軍を預けたい」と言わしめ、加藤清正ら武断派の評判の上々、徳川家康との親交も厚かったと言われています。それほどの人物でありながら、三成は関ヶ原の戦いの計画に吉継を誘ってはいませんでした。実戦経験不足の石田三成方首脳陣。百戦錬磨の徳川家康相手にはなかなか厳しい戦となっていきます。

第35話「犬伏」

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                                 引用:NHK

まさかのチョイ役登場、伊達秀宗。彼は伊達政宗の長男ですが側室である飯坂御前(「独眼竜政宗」では秋吉久美子さんが演じられていました。)の子であったため嫡男にはなれず、後に宇和島藩の初代藩主となる子です。犬伏の別れの下駄投げつけ前歯欠け事件も抜け目なく描かれてしまっていたので、今日は衝撃の死を迎えた細川忠興夫人、ガラシャの話。

彼女は明智光秀の娘で、名を玉といいました。たいそう絶世の美女だったようで、夫・細川忠興の寵愛も並々ならなかったようです。本能寺の変の折に親族として罪が及ぶことを恐れた父・藤孝に玉を離縁するするよう言われても忠興は断固拒否。また植木職人が彼女の顔を見たというだけで、嫉妬に狂った忠興はその植木職人を斬首。そして関ヶ原の戦いの発端となった上杉討伐に向かう際、忠興は「敵に捕まる辱めを受けるようであれば、屋敷に火を放ち自らの命を絶つ」よう命じたのです。そして今夜の放送にあった通り、石田方に人質に取られそうになったガラシャは屋敷に火を放ち、家老に自らを殺させます。戦後の忠興の落胆と怒りは激しく、当時細川家に砲術指南として仕えており屋敷の護衛をしていながら逃亡した稲富祐直には追手を差し向け(後に徳川家康によって助命される。)、同じく屋敷から逃げ延びた嫡男・忠隆の妻(前田利家の娘)と離縁するように忠隆に要求。これを拒んだ忠隆は廃嫡・勘当され、三男・忠利が嫡男となりました。

第36話「勝負」

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                                 引用:NHK

第2次上田合戦も真田軍の勝利。しかし肝心の関ヶ原の戦いでは石田三成率いる西軍が徳川家康に敗北。
ちなみに上田城を攻めていた秀忠率いる別動隊は、結局関ヶ原の決戦に間に合わず。到着後も秀忠は家康に数日間お目通りも叶わず、後に会った際も大いに叱責されたと言います。ですがこれも一説によると万が一関ヶ原での合戦に敗れた時に備え、遊軍としてわざと家康が遅れるように指示していたという説もあります。

もし関ヶ原の戦いに家康が敗れていたら、家康は甲斐やあるいは本拠地の江戸で兵を立て直し、最終決戦に臨んでいたでしょう。あるいは西軍の石田三成も同じように考えていたはずです。万が一関ヶ原で敗れたら、敗残兵をまとめて大坂に残してきた軍などと合流し、京あるいは大坂で最終決戦だ、と。ところが決戦はわずか一日で終わってしまった。これは全国のどの大名も予想していなかったことでした。

だから九州の黒田官兵衛も奥州の伊達政宗も、一応東軍として自分の領地の周りの西軍と戦っておきながら、中央の情勢次第ではいつでも徳川と対峙する方策も考えていた。伊達政宗に至っては露骨に東軍方の南部領内の一揆の手助けをして、家康に戦後睨まれている始末。真田だって、戦が長引けば更に徳川の背後を脅かすような戦略も取れたはずです。この関ヶ原の戦いにおけるスピード決着によって、いよいよ時代は徳川の流れになっていきます。

第37話「信之」

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                                 引用:NHK

真田昌幸改易!おにーちゃん、真田源三郎信幸改め信之の男気が前面に出ていた今夜の放送。父・昌幸と弟・信繁の助命嘆願を乞い、なんとか果たした訳ですが、共に尽力してくれたのが舅である本多平八郎忠勝。言わずと知れた徳川四天王の一人であり、最近ではゲームの影響で戦国最強の武将という認識を持たれている方が多いと思います。

初陣は桶狭間の戦いの前哨戦である大高城の兵糧運び入れ。主君である松平元康(=家康)と共に敵中孤立した大高城へ兵糧を運び入れるという困難な任務を成し遂げました。その後も武功を重ね、武田方には「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八」と称賛され、織田信長にも「花も実も兼ね備えた武将」と評すほど。さらにその武名を一躍高めたのが小牧・長久手の戦いの時のこと。秀吉と対陣していた徳川軍。秀吉の甥・秀次が率いる別動隊が隙を突いて家康の本拠地・三河を攻めようとしますが、家康はこれを察知。密かに群を返し、これを撃破します。しかしそのため秀吉に対していた徳川本陣にはほとんど兵は残っていない状態。秀吉はすぐに別動隊を撃破した家康本隊の背中を突こうと進軍を開始します。
その何万もの秀吉軍にわずか五百ほどの手勢で立ちはだかったのが本多忠勝。川向こうから鉄砲を撃ちかけて必死に秀吉軍の進軍を止めます。これを観た秀吉は忠勝の忠義と武勇を惜しみ、進軍を止めたと言います。また忠勝の武勇を示すエピソードとして、忠勝は戦場で一度も傷を負ったことがなかったといわれています。晩年、小刀で木を削っていた際、誤って自身の左手を傷つけてしまった。「儂も傷を負うとは、死期は近いな。」と悟り、果たしてその通りになったという。愛槍は「蜻蛉切(とんぼぎり)」、置いていた穂先にとんぼが止まったらそのまま真っ二つになったと言われる天下の名槍です。

第38話「昌幸」

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                                 引用:NHK

先週の「信之」といい、今週の「昌幸」といい、ストレートなタイトルが続きます。それにしても三谷脚本恐るべし。昌幸が「信幸が捨てた『幸』の字を、信繁、お前が貰ってはくれぬか。」とおーっと、まさかの「真田幸村」の登場か、と思わせておいて・・・あれです。笑

このドラマには当初の予定通り、「真田幸村」は登場しないようです。これまでさんざんドラマを盛り上げてきた真田昌幸も遂に没しました。関ヶ原の戦いより10年の幽閉生活。徳川を破って勇名を馳せた武将として、さぞ無念であったろうなと思います。関ヶ原の戦いにて所領を改易された大名の多くは、他家に仕えるか、後年大坂の陣で豊臣家と運命を共にした人が多いのですが、織田秀信(信長の孫、三法師)のように戦後のストレスで早くに亡くなったものも多くいました。真田昌幸同様に大名に復帰することなく幽閉の身のまま亡くなった大名の一人が、高橋和也さん演じる宇喜多秀家。

秀吉の猶子であり豊臣五大老の一人、関ヶ原の戦いでは副大将を務めました。戦後は薩摩まで落ち延び島津家に匿われましたが、やがてそれが徳川幕府に知れることとなり出頭。最後は八丈島に流され、なんと84歳まで生きました。流人生活55年!何を思って生き続けたのでしょうか。。。八丈島では今でも宇喜多(浮田)という名字が多く残り、皆様割と上品な顔立ちをされているとか。

第39話「歳月」

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                                 引用:NHK

前回「真田幸村は登場しない」って書きましたけど、どうやら来週あたりから信繁さん「幸村」の名前を使うようです。長澤まさみサン演じるきりちゃん、劇中ではもう40歳も過ぎた当時なら立派なばーさん。
正式に側室にしてあげれば良いのにと思うのだが、、、今夜は完全なるバラエティー回。

秀吉が歌っていたあの歌が出るわ、佐助がまた一段と饒舌になるわ、嵐の前の楽しさってやつですかね。真田紐、諸説ありますが九度山蟄居中の真田信繁たちが生活費を稼ぐために発明、売っていたとの伝承があります。そんな真田紐に形状が似ていることから、寄生虫の「サナダムシ」の名前が付きました。腸内のものを食べてくれる、と一時期サナダムシダイエットなんて話もありましたが、種類によっては人の腹を食い破る恐ろしい存在。

さて、ここからは食事中の人は後で読むことをおススメします。
そんな怖いサナダムシですが、前田利家はよく口からサナダムシ(回虫)を取り出しては(!)人に見せていたそう。って、そんな自由自在に取り出せるものなのかいとツッコミどころ満載ですが。当時、ひとたび戦に出れば衛生環境なんて言ってられなかったでしょうから、その辺の水たまりの水を飲んだりだとか、川魚を捕ってそのまま生で食べたりとかあったでしょうから、現代よりも遥かに寄生虫は多く存在したのでしょう。当時の戦場医学というのもとんでもないものが多く、傷を受けた際は小便を飲むと痛みが和らぐだとか、馬糞を傷口塗っておくといい(しかも白馬がベスト)、という衛生状態もへったくれもないものもばかり。戦国武将にときめくそこの歴女のあなた!あなたの恋する武将は馬糞まみれかもしれません。笑

第40話「幸村」

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                                 引用:NHK

今夜は何を書くか難しいです。今回の主役は小林隆さん演じる片桐且元でしょうか。登場の時から胃を抑えていたのは、今夜の回のためといっても過言ではありません。加藤清正、福島正則らと共に「賤ヶ岳七本槍」に数えられる且元ですが、功績としては戦手柄よりも検地だったり兵站確保など、政治的役割の方が大きかった武将です。

関ヶ原の合戦後、豊臣家と徳川家の橋渡しとして努めましたが、今夜の放送の通り方広寺の釣り鐘の銘文をめぐって両家の板挟みに。。。結局弟共に大坂城を退去、大坂の陣では徳川方として参戦することとなります。そして豊臣家滅亡後に後を追うように病死。一説では自害したとも言われています。

ついでに他の賤ヶ岳七本槍はというと、加藤清正は二条城での秀頼・家康会見後に急死。息子・忠広の代に改易。福島正則は大坂の陣後も広島藩として50万石近い大々名だったが、幕府に無許可で広島城の石垣修繕を行なった罪を咎められ改易。加藤嘉明は三代将軍徳川家光の介添役になるなど徳川の世でも重宝されましたが、やはり息子の代に改易。関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返った脇坂安治は、子孫の代にどこかの譜代大名の家から養子を取って譜代大名となり、幕閣(老中になった人もいたっけ?)を務めるなど七本槍の家では一番出世して残った家。

近藤芳正さんが演じた平野長泰は大坂の陣では豊臣方として参戦しようとするのを止められ、江戸留守居役として幕府の監視下に。旗本として家名を残しました。糟屋武則は関ヶ原の戦いで西軍について改易された後、病死したとも徳川家に旗本として仕えたとも言われており、ハッキリしません。いずれにしても豊臣恩顧の大名が徳川の世で生き残るのは、並大抵のことではなかったようです。

第41話「入城」

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                                 引用:NHK

伊賀越えの時に活躍した服部半蔵は関ヶ原の戦いより前に亡くなっているから、今日の服部半蔵は二代目かな。(あ、清正殺した時も浜谷さん演じてたのか。。。)二代続けての押し通る。笑

敵の虚を突く、というのも忍術の基本なので、あれでいいんです。全くの余談になってしまいますけど、古代中国にて敵陣の前に兵士に扮した死刑囚たちを並ばせて、いきなり自分の首を刎ねて、驚きのあまり敵が呆然としているところを攻め込んで勝った、なんて戦もありました。

今夜の真田幸村は大坂城に入る際、老けた変装をしました。これは当時の記録に大坂城入城の際の真田左衛門佐を「白髪が多く、歯も抜けており年齢よりも老けて見えた」と残っていたため、あのような演出になったと思われます。さすがにそんな大河の主人公は見たくない。。。

おにーちゃん信之の真田家でも、長男の信吉を跡取りにすると決まりました。にもかかわらず、真田家は後々後継者争いでもめます。大坂の陣当時の信之の本拠地は沼田ですが、やがて上田そして松代と変わっていきます。その際旧・本拠地の沼田を長男の信吉に任せます。まぁ後継者を育てるためによくある話です。しかし信吉は早くに亡くなってしまうため、信之の後継者は次男の信政となり松代は信政、沼田は信吉の幼少の子が治めることになりました。やがて後を継いだ信政も亡くなると、信政の子が真田家を継ぐのですが、ここで本来真田本家を継ぐのは長男・信吉系だとして、沼田と松代は対立。結果として沼田と松代はそれぞれ別藩として分かれてしまいます。その後松代に比べ石高の少ない沼田は、松代に張り合うため重税を課したため領民の反乱が起き、取り潰し。。。93歳まで生きた信之はそういった孫の争いまで仲裁に入ったりと、最後まで心を痛め続けた生涯でした。

第42話「味方」

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                                 引用:NHK

大泉洋さん、相変わらず笑わせてくれます。笑

真田信繁(幸村)の大坂入城は、真田本家にも大きな衝撃を与えたようで、作兵衛のように信繁の下へはしった(あるいはそういう動きを見せた)信之の家臣も少なからずいたようです。しかし信之はそういった家臣を厳しく処罰しました。追従する者を防ぐ、そして何よりも徳川の手前というのが大きかったでしょう。

本日から登場、井上順さん演じる織田有楽斎。東京の人には彼の屋敷があった場所が現在の「有楽町」ということで名前だけでもご存知の方も多いのでは。織田信長の弟で、本能寺の変の際は信長の嫡男・信忠と共に二条御所に居ましたが脱出。一般的に茶の湯などに造詣の深い文化人としての印象があるが、そこはやはり信長の弟。武功もしっかりと重ねており、関ヶ原の戦いの際には東軍として参陣し、石田家の猛将・蒲生頼郷の首を挙げています。そして幸村と相部屋になった長曾我部盛親、元は四国を統一した長曾我部元親の四男。父・元親は嫡男でありながら控えめな性格で幼少は「姫和子」(女のような子ども)と呼ばれ、周囲を心配させた。しかし初陣で非凡な活躍を見せ「鬼和子」と呼ばれるようになると、怒涛の勢いで四国を統一。しかし豊臣秀吉の前に膝を屈し、豊臣政権下では土佐一国の大名として生きながらえました。本来は長男に信親という、非常に勇猛な出来の良い息子がいましたが、豊臣軍として攻め込んだ九州にて島津軍に大敗。信親が戦死した頃から長曾我部家の運命は徐々に悪い方へ。元親は次男・三男を差し置いて寵愛する四男・盛親を跡継ぎとしますが、これに反対する一族・家臣も出て家中は分裂。そんな中、秀吉が亡くなった翌年に元親も死去。分裂したままの長曾我部家を率いた盛親は西軍に参加し敗北、お家はお取り潰しとなります。

ちなみにこの長曾我部氏、元は秦氏といったそうで秦氏は古く中国から渡ってきた渡来人、ひいては秦の始皇帝の子孫と言われる一族です。長曾我部氏が取り潰された後に土佐に入ったのが、数年前の大河ドラマの主人公・山内一豊。彼は長曾我部色が色濃く残る土佐を治めるために、身分などを厳しく分け旧長曾我部系の武士が力を持たないよう、制度を作っていきました。この厳しい身分制度が、250年後に坂本龍馬を生み出すこととなるのです。

第43話「軍議」

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                                 引用:NHK

茶々様の秀吉に対する思いがなおブラックで面白かったです。今夜こそあまりネタが無くて困るのですが。。。

岡本健一さん演じる毛利勝永、「毛利」というと中国の毛利氏が真っ先に浮かびますが、毛利勝永の一族は元は「森」を名乗っており、関連は無いそうです。ちなみに毛利氏も元は「もうり」とは読まず、「もり」と読んでいたそう。さらに余談ですが「伊達」も元は「いだて」と読んでいたのが「だて」になったそうです。

名字の由来でいえば先週に引き続き「長曾我部」氏。渡来人・秦氏の末裔であることは前回書きましたが、長曾我部氏は元は曾我部氏と言いました。しかし土佐には二つの曾我部氏がおり、長岡郡を治める曾我部氏が「長曾我部」、香美郡を治める曾我部氏が「香曾我部」を名乗るようになりました。後に長曾我部元親の弟、親泰が養子に入り、長曾我部家と香曾我部家は一族になりました。

同じ名字というと、最近僕が知って驚いたのが武田氏。武田といえば武田信玄の甲斐源氏の武田を真っ先に思い出しますが、少し戦国時代がお好きな方なら若狭にも武田氏がいることをご存知の方もいると思います。「信長の野望」では若狭武田氏は甲斐武田氏に比べようもないくらい弱い一族ですが、どうやら武田氏の本流は若狭武田氏とのこと。甲斐の名門武田氏も本流では無かったのか。。。こういう血の系譜というのも歴史の大きな楽しみの一つです。

第44話「築城」

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                                 引用:NHK

メインテーマがオープニングではなく最終回に流れる演出は、最終回以外では大河ドラマ初だったのではないでしょうか。タイトルにもなっている「真田丸」がついに大坂城に完成します。

真田幸村(信繁)も赤い鹿角兜というおなじみのスタイルに。真田丸に真田六文銭の軍旗がひるがえっていましたが、一説によると幸村は東軍として参陣している甥の真田信吉・信政を気遣って六文銭の軍旗を用いなかったという説も残っています。

今回家康が戦準備をしていた足軽たちのあまりの知識の無さに怒鳴り散らしていましたが、実際関ヶ原から15年。兵たちの実戦経験の無さというのが徳川軍の弱みでした。兵を率いる将にしても、徳川四天王をはじめとした三河以来の将はほとんど世になく、参陣した将は二代目ばかり。諸大名で一軍を率いて戦ったことがあるのは総大将の徳川家康以外は上杉景勝・伊達政宗・藤堂高虎・立花宗茂程度。大軍とはいえ、指揮がまともにできないようでは烏合の衆、大坂方が勝機を見出せる点はそこでした。

ちなみにさらに22年後の島原の乱では幕府軍のこの傾向がさらに顕著となり、忍びの者は城に潜入も出来ず外でガタガタ震えるだけ、当初の総大将・板倉重昌は戦死。結局のところ前述の立花宗茂や水野勝成、鍋島勝茂といったギリギリ関ヶ原を知る老将たちの活躍によりなんとか一揆勢を鎮圧することが出来ました。武士の心得として「葉隠」という本が、広く一般的に知られていますがこの本が書かれたのも江戸中期。人によっては「葉隠は平和な時代の武士による理想の姿であり、戦国の世を生き抜いた武士の思想には程遠い」なんて意見もあります。現代の倫理観だけで判断出来ないということも、歴史を理解する大事な要素の一つです。

第45話「完封」

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                                 引用:NHK

毛利勝永!あなたはゴルゴかっ。笑

第二次上田城攻防戦以来の合戦シーン、爽快でした。信之に豊臣方への支援を依頼した福島正則と平野長泰。豊臣恩顧の大名のため、江戸留守居役に留め置かれました。他に同じ七本槍の加藤嘉明や脇坂安治、黒田官兵衛の息子の黒田長政も江戸や国許に留め置かれたと言います。福島正則に至っては劇中で描かれていた通り大坂城に兵糧が運び込まれるのを黙認、さらに弟はしっかりと大坂方として参陣しています。徳川方の圧倒的優勢とはいえ、豊臣方に心を寄せる大名も決して少なくなく、戦況によってはどうなるか分からなかったかもしれません。それにしても幸村の鎧格好いいです。

そして途中であった、真田丸の物見櫓に立つ幸村と高梨内記が、徳川勢を見下ろしながら交わした会話が素晴らしかった。

幸村「壮観だ」
内記「相手に不足はございません。あちらにも赤備えがおりますぞ」
幸村「あれは井伊直孝だ、かの井伊直政の次男坊だ」
内記「井伊でございますか」
幸村「向こうにも、ここに至るまでの物語があるんだろうな」
内記「一度、聞いてみたいものですな」

と。
これ、明らかに来年の大河ドラマのことをいってるではないか。すげー粋なはからい。

第46話「砲弾」

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                                 引用:NHK

真田丸で善戦した豊臣方でしたが、主戦派であった淀の方の目の前で徳川方の大筒が炸裂。侍女が亡くなるのを目の当たりにした淀の方は戦意を喪失し、講和へと向かっていきます。

歴史ファンはみんなこの展開を知っていた訳なので、放送前からその死ぬ侍女に長澤まさみサン演じる「きり」が含まれるのかどうかとヤキモキ。。。結果無事で良かったー。と思います。

真田の叔父上・信尹様も再登場で物語は終息に向かっていきます。徳川の本陣、最近では徳川家康の側近として働くのは近藤正臣さん演じる本多正信ではなく、息子の正純。

正信は秀忠のサポートに回っています。これは秀忠に腹心の正信を置くことで、秀忠を家康の意に背かぬようにする。そして正純は家康の仕事ぶりを間近で見ることで、家康の思考を学び、ゆくゆくは正信に匹敵する謀臣として秀忠をサポートしていく存在に育て上げることにありました。

そして家康・正信没後に正純は秀忠の側近として権勢をふるいますが、それまでの扱いを恃んだ態度が、やがて他の秀忠側近や秀忠からも疎まれ、宇都宮釣り天井事件などを理由に改易されてしまっています。

そう思うと、江戸幕府創世記の家臣で、最後まで大きな権力を持ったままの家って案外少ないように思う。井伊家なんてのは凄いもんだと。その話はまた来年に!!

第47話「反撃」

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                                 引用:NHK

皆様、徳川との和睦交渉をした大蔵卿局に怒り心頭のご様子です。

確かに結果的に見ればあの和睦交渉が、後の大坂夏の陣において豊臣方の不利を招くわけですが、それはあくまで結果論かと。

臥薪嘗胆、とにかく豊臣家の存続のために徳川との戦を回避するということを第一に考えるのであれば、戦の火種を少しでも残したくなかったという考え方も分からないではありません。

実際信繁演じる堺雅人さんも、豊臣首脳とのシーンは演じていてイライラする、でも向こうの気持ちも分かるところはある、とあさイチで仰ってました。

今回は真田丸に登場する気になる女性をピックアップ。

まずは信之が入り浸っていた、八木亜希子さん演じる小野お通。僕も名前は前々から知っていましたが、実際何をやった方か知らなかったので、調べてみました。

が、いろいろ経歴不明の謎多き人物。はっきりしていることは宮中で和歌や学問を教えられるほどの教養レベルの高い人物であり、真田信之にゆかりのある江戸・広徳寺に墓がある、そして娘が信之の次男・信政の側室になっているということでした。

信之とも近しい関係だったらしく、実質の側室だったという説もあるとか。うーん、謎です。

もう一人は斉藤由貴さん演じる阿茶局。

家康の側室ですが、家康との間に子を儲けることはありませんでした。しかしその才能を家康に愛され数々の戦場に従軍、秀忠・忠吉を養育したのも彼女と言われています。ちなみに家康には「茶阿局」という側室もおり、こちらは家康との間に松平忠輝を生んでいます。

余談ですが、家康の側室には子持ちの後家さんが非常に多く、前述の阿茶の局や茶阿局もそうです。これは家康が「子を産める女性」であることを重視した結果だと言われています。不妊は現代でも重要な問題ですが、それは大名にとっても死活問題。跡継ぎのいない大名家は潰れてしまいます。結果、家康は11男5女に恵まれました。常に若い子を求めた秀吉とはこの点でも非常に対照的です。しかし家康も晩年は趣味にはしったのか、迎えた側室はみな十代の若い子だったそうです。笑

第48話「引鉄」

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                                 引用:NHK

信繁は大坂城の利休茶室跡地を調べた。なんと!馬上筒を見つけた!おーーーい、ドラクエかい。笑

三谷大河の好きなところは、「いやいやあり得ないでしょう」とツッコミたくなるような、でもそれを必ずしも事実ではないと言い切れないところを攻めてくるのがツボです。

今夜は武田幸三さん演じる大野治房が大暴れ!獅子身中の虫、井上順さん演じる織田信長の弟・有楽斎も、信繁によって叩き出されました。しきりに「信長の弟」をかさに威張ってましたが、他の信長の一族は何をしていたのでしょうか。

武将として有楽斎(長益)に匹敵する武功を重ねたのが、同じく信長の弟である織田秀包。信長存命中は、織田一族として信長の嫡男・信忠の跡に名が続き、織田一門での実質NO.3。また、浅井滅亡後にお市の方とその娘の三姉妹を世話していたのも信包とされています。本能寺の変後は特に天下を狙う気配も見せず、かつての家来筋の秀吉に仕え、秀吉没後も大坂にて秀頼を補佐。大坂冬の陣を目前にして亡くなっています。決して派手さはありませんが堅実なまずまずの器量を持った武将だったようです。ちなみに大河ドラマ「江」では、「真田丸」で片桐且元を演じた小林隆さんが演じられていました。

織田一門でもう一人忘れてはならないのが、信長の次男・信雄。秀吉と組んでライバルであった弟の信孝を滅ぼすと、今度は徳川家康と結んで秀吉に対抗。しかし独断で秀吉と講和し、家康を困惑させています。その後は秀吉配下として働きますが、小田原の陣後に関東へ移封された家康の旧領へ代わりに入ることを命じられるとこれを拒否し改易。やがて赦され秀吉の御伽衆となるも、秀吉没後に関ヶ原の戦いにて西軍へつき改易。

大坂城で秀頼に仕えますが、大坂冬の陣を目前に徳川方へつき、上野国で5万石の大名となっています。一説には「真田丸」での有楽斎同様に、徳川方の間者の役割を果たしていたとも言われています。

共通して言えることは織田一門、意外とすんなり秀吉に仕えているものが多く、しかもここに挙げた2人以外にも関ヶ原の戦いの時には西軍について、戦死・改易となっています。そこもちゃっかりと生き延びた人は徳川政権下で上手いことやってるんですよね。そのある意味節操のない感じが、秀吉没後の豊臣家との大きな違いですね。
「真田丸」もあと2回、来週はきりチャンとの大事なシーンがあるそうです。

第49話「前夜」

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                                 引用:NHK

おにーちゃんの「黙れ、小童!」返し、笑いました。笑

先週の真田家の従兄弟同士の会談や今夜の信之と信繁の会談、歴史上の記述は残っていませんが実際にあったらどんな心境だったのでしょうか。。。

今夜は大坂方の名だたる将たちが討死。

兜に香をしたためた木村重成、結婚したばかりの妻の気遣いだったそう。元ネタは首実検の際に重成から香の匂いを感じ取った家康が、その心配りを褒めたたえたエピソードからでしょう。

そして伊達勢の前に敗れた後藤又兵衛基次。本来は真田勢の到着を待ってから攻めかかる予定でしたが、一説によると濃霧のため真田勢の到着が遅れたため、戦機を逃すことを恐れた後藤隊が単独で攻めかかったといいます。後藤隊を破った伊達勢には政宗側近である家臣団の次男・三男を中心に編成された、新戦法・騎馬鉄砲隊がいました。足の遅い鉄砲隊の弱点をカバーするために考案されたこの部隊、馬で走りながら発砲するのではなく、実際は狙撃地点まで高速で移動し発砲するような戦法だったようです。

真田信繁の娘・梅を片倉小十郎景綱の息子が娶るとのナレーションがありましたが、大坂夏の陣に参加したのは景綱ではなく当の息子・小十郎重綱の方でした。小十郎景綱はすでに病床の身にあり(この年病没)、大坂夏の陣後に馬を下りて敵将の首を獲った重綱に対し「大将のすることではない」と叱責しています。個人的に梅ちゃんと重綱の胸キュンシーンを期待していただけにちょっと残念。

信繁の次男・大八も片倉家の庇護の下、やがて仙台真田家を興します。なぜ政宗は幕府に睨まれるリスクを冒しながら、真田一族を保護したのか。真田の武者ぶりに惚れた、朝鮮の役の際に名護屋で屋敷が隣同士で親交があった、など諸説ありますが、個人的には万が一伊達家が徳川家が対立した際の切り札だったのではないかと思います。政宗は同じように長曾我部盛親の遺児も保護しており、そのネームバリューがいざというときに役立つと踏んだのではないかな。

きりちゃんとのラブシーンは大河ドラマでは珍しい印象。逆に終わりが近いことを予感させてしまうのが哀しい・・・。いよいよ来週が最終回!!

第50話「  」

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                                 引用:NHK

最終回を見て、胸がいっぱいです。

自刃して果てる真田信繁(幸村)は初めての描かれ方のような気がします。信繁の最期にも諸説ありますが、一番有名なのが寺で休んでいるところを松平忠直配下の西尾某というものが見つけ、「我が首を討って手柄にせい」と首を差し出したというもの。

今夜の放送でもその話を逆手に取った演出でした。そういえば三谷さん脚本の大河って、前の「新選組!」も今回も主人公が病没ではないんですね。滅ぶものをどう悲惨にならないように描けるか、そういう意味では2作とも暗い気持ちにはならずに終われた作品だったように思います。

大坂夏の陣、豊臣方がどれくらい優勢だったか。
先週の放送で後藤又兵衛と長曾我部盛親はなすすべなく敗退してましたが、実際は長曾我部隊と木村重成隊が徳川方の有力大名・藤堂高虎の軍を壊滅寸前にまで追い込んでおり、高虎の一族も多数戦死しています。この時、勝手な攻撃をするなという命令を愚直に守り、援軍を出さずに叱責された徳川方の松平忠直(家康の孫)が、翌日に功を焦って抜け駆けをして毛利隊へ攻撃を仕掛ける(今夜の放送で描かれていたやつです。)こととなります。そして毛利・真田の最後の突撃では、本多忠朝(忠勝の息子)と小笠原忠脩(家康の曾孫)が戦死、と名だたる武将が戦死しています。そして家康自身も43年前に三方ヶ原の戦いで武田信玄に破られて以来、2度目の本陣陥落を味わうこととなっています。

本編では描かれなかった戦後の話。千姫の助命嘆願も叶わず、淀の方と秀頼は自害。付き従っていた真田大助(幸昌)も、大野兄弟も運命を共にします。また秀頼には子がいましたが、男子であった国松は逃亡したところを捕まり斬首、娘は仏門に入ることで命を長らえています。

秀頼には生存説があって真田大助とともに薩摩へ逃れ天寿を全うしたというものもあります。大坂五人衆だと、信繁と共に戦った毛利勝永は秀頼と共に自害、先週戦場離脱した長曾我部盛親は捕まって秀頼の子・国松と共に斬首。キリシタン明石全登は、戦場から姿を消し消息不明。数年後に息子は捕まりますが、全登本人は最後まで見つかることはありませんでした。

最後なので盛り沢山に。

大坂落城を遠くから眺めていた伊達政宗と上杉景勝。関ヶ原の戦いの際は矛を交え、上杉の本拠地・米沢はかつての伊達氏の本拠地。政宗も米沢で誕生しています。何かと因縁のある両家、実は両家とも「竹に雀」の家紋を使っています。上杉景勝の家は、養父・上杉謙信(長尾景虎)の時代に関東の山内上杉家から家を譲られると同時に家紋も受け継ぎました。一方伊達は、政宗の曽祖父・稙宗の時代に越後守護の上杉氏に息子の実元が養子に入る予定でした。

これは当時稙宗が他家に姫や、息子を送り込むことでその家も傘下に収め、伊達の勢力拡大を図っていた戦力の一つなのですが、一方で有能な家臣なども送り込むことで伊達家本体の弱体化を懸念していたのが嫡男・晴宗(政宗の祖父)。やがて親子は両者で争い、その中で実元の上杉家の養子入りの話も破談となってしまいました。

しかし伊達家は養子縁組の祝いとして上杉家から送られた「竹に雀」の家紋は、ちゃっかり使い続けたのです。
越後守護の上杉氏も関東の山内上杉氏も元は同じ一族ですから、微妙にデザインの違う「竹に雀」の紋が両家に受け継がれた訳です。

大坂城を脱出した秀頼の妻・千姫。徳川の陣に着いた千姫、劇中では家康と秀忠に満面の笑みを以て迎えられていましたが、記録によっては秀忠が「なぜ夫と運命を共にしなかったのだ」と叱責したとされるものもあるようです。

しかしその後の扱いから、おそらくそれは諸大名に対する建前上のポーズだったとは思われます。千姫を実際に徳川本陣に送り届けたとされわるのは、坂崎出羽守直盛。坂崎出羽守は元の名を宇喜多詮家と言って、その名の通りここの第38話でも話題にした宇喜多秀家の従兄弟。関ヶ原の戦い前に宇喜多の御家騒動によって秀家とは袂を分かち、以降徳川方の大名として働きます。

しかし千姫救出の際、家康が「千姫を救出した者に、千姫を嫁に取らす」といった約束をしたとされますが、千姫は本多忠勝の孫・本多忠刻に嫁ぐことに。不満に思った直盛は輿入れ途中の千姫の強奪計画を立てますが計画は露見、結局直盛は自刃し(家臣によって殺されたとも)、坂崎家は取り潰しとなりました。ちなみに秀頼の娘(母は側室)の助命嘆願をしたのも千姫で、千姫はその子を養女とした後、仏門に入れ命を助けています。

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